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アフリカン侍が来る! [教科書に出てくるイケメン]

かつてリネンが予備校に通っていた頃、
日本史の先生が教えてくれました。
日本の歴史で、記録上はじめて登場する「黒人」は、戦国時代。
織田信長の家来に、弥助と呼ばれる黒人がいたのだと。


織田信長はヨーロッパから来た宣教師と仲良くしていたわけですが、
弥助は、宣教師から信長に贈られたのだそうです。

はじめて見る肌の色に、
信長はてっきりボディペイントなのだと思って、
水浴びとかさせてみて、
本物だと分かるとそれはそれは驚いて、

服と、刀と、「弥助」という名前を与えて、
家来にしたのだそうです。


歴代の大河ドラマなどを見ても、
アフリカ系の人物がちゃんと信長の隣に立っていたりするのですが、
歴史や政治を動かすようなことをしたわけではないので、
ドラマ的にはいわゆるチョイ役です。

しかし、1人の人物の物語として見たときに、
こんな数奇な人生を送った人は、
世界でも稀なのではないかと思います。


彼はぶっちゃけ奴隷でした。

アフリカのどこかから引き離され、
ヨーロッパ人の奴隷にされたかと思えば、
船に乗ってはるばるアジアまで、
それもいちばん端っこの日本まで連れてこられて、
そこで織田信長の家来に取り立てられ、
奴隷から侍となった彼は、

本能寺で、信長を守るために戦う。


こんな...こんな、フィクションみたいにドラマチックな話が、
なぜもっと有名にならないのかと、
こんなにも主人公主人公した人物をなぜ世界は放置してるのかと、
そう思っていたら、

なんか!
最近、来てるみたいですねッ!
弥助をモチーフにしたアニメがNetflixで、
別の実写映画もハリウッドで、制作中とのこと。
NHKのドキュメンタリーでそう言ってました!

来るときは一気に来るんですねえ。
歴史好きとしては「やっと気付いたか」という気持ちと、
「あ~見つかっちゃった~」という気持ちが同居しています。


アニメと映画は歴史モノというより、
「昔の日本を舞台にしたエンタメ作品」みたいになるようです。
でも、映像作品がどんなに脚色されたところで、
ある意味史実のほうがスゴい、ってのが弥助なのかもと思っています。

弥助はね、とにかくミステリアスなんですよね。

180cm超えで、10人力で、本能寺では勇猛果敢に戦ったと記録の残る、
強くて勇ましくて侍魂を持った、アフリカ出身の男。

本当の名前は、もう誰も知らない。
故郷はどこだったのか。
本能寺のあとどこへ行ったのか...


予備校の先生はこんなことを言っていました。

弥助は信長に感謝していただろうから、
信長と親しかった武将、徳川家康のもとに身を寄せたのではないか。
なぜなら、その後の歴史の中で、
明らかにアフリカ系の血を引いていると思われる人物が、
駿河近辺から輩出されているから。
その人物とは...ッ!


想像力とか創作意欲を、これでもかと刺激する存在。
映画『ラストサムライ』はトムクルーズでしたが、
「西洋出身のサムライ」は映画より300年も前に実在して、それは黒人だったのです。

アフリカン侍、来てます!!


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「夫にしたい」1位に半平太を! [教科書に出てくるイケメン]

武市半平太が切腹してから、2週間が経とうとしています。
嘘です。
“大河ドラマで、武市の切腹を描いた回が放送されてから2週間”なのであって、
本物は145年前に亡くなっています。


それにしても、こんなにイケてる人物だったとは。
大河ドラマが始まるまで、“龍馬の友人”くらいにしか認識していませんでしたが、
もっと早くに気付くべきだったと、後悔しています。
やはり学生時代、司馬遼の「竜馬がゆく」を途中で挫折したのがいけなかった!
(この小説で、武市さんがそーとーカッコよく描かれている)

武市半平太のカッコイイポイントは、たくさんあります。
 ・背が高い(180cmくらいあったらしい)
 ・剣豪(桃井春蔵道場で塾頭をつとめた)
 ・カリスマ(土佐勤王党のリーダー)
 ・絵がうまい(獄中でも作品をたくさん残したらしい)

でもやっぱり、特筆すべきは、奥さんとの夫婦仲だと思うのです。

幕末・明治史には、たくさんの偉人や英雄が登場するけれど、
夫婦仲が伝説となっている人物は、そう多くありません。
ありていに言えば、みんな(昔の男性らしく)何人も女性がいた。
岩崎弥太郎も、伊藤博文も、カタブツイメージの近藤勇だって、
お妾さんや妾腹の子が何人もいたという話だし、
土方歳三に至っては、もう何がなにやら。
「日本初の新婚旅行をした」とか言われてる龍馬でさえ、
別に愛妻家というワケではないし、女性はおりょうさん一人じゃないですからね。

それにひきかえ、武市半平太は偉いッ!


半平太は、二十歳のときに奥さんと結婚しました。

子供が生まれないのを心配した周囲の策略で、
奥さんの帰省中に、若い女中(よーするに妾候補)が次々と送り込まれてきたんだけど、
いっさい手をつけず、策略に気付いて「いらんことすんな」と言ったのは有名な話。
これは、ドラマでも乙女ねーさんが語っていましたね。

半平太が獄中にあるときも、奥さんは毎日のよーに差し入れをして、
切腹のときの死装束も、てずから縫って届けたとか。

半平太って、江戸に行ったり上洛したりで、
実は意外と土佐の家には、いられなかったんだと思うのですが。

そう思うと、ドラマで、
藩吏に連行される直前の朝、ふたりで朝食とってるシーンは泣けたなぁ・・・


今まで寂しい思いをさせたけど、これからは二人で過ごそうね。
夏のあいだに、桂浜に行こう。
秋になったら、紅葉狩りに行こう。
冬になったら・・・
「どこにも行かずに、二人で家にいたいです」
そっか、そんならそうしよう。


あぁ、書いてて思い出し泣きしそうだ。
このあと半平太は連行・投獄・切腹となり、二度と家には戻ってこないのです。


いつにも増して、ドラマと史実がごっちゃになった文面になっておりますが、ご了承ください。
小説やドラマを鵜呑みにしてはいけないし、
実在の武市半平太がほんとうにこうだったのかは分からないのですが、
当時を知る人が「武市さんと言えば、夫婦仲がよかった」と証言して、
それが21世紀の今まで語り継がれるくらいだから、
ま、信ぴょう性もそれなりに高いと言えましょう。

「上司にしたい人物」
「首相になって欲しい人物」
「いっしょにお酒を飲んでみたい人物」・・・
とかく、龍馬が1位になりがちです。アンケートでは、なんでもかんでも龍馬です。
でも「旦那さんにしたい人物」を選ぶなら、リネンは龍馬はイヤだな。
武市半平太がいいな!!
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古代のドロドロ劇 [教科書に出てくるイケメン]

ふと思い立って、学生時代に使っていた日本史の参考書を読み返していたところ、
ちょっと濃ゆいキャラを発見いたしました。
中大兄皇子です。

時代としては、7世紀の大和朝廷の頃。大化の改新とかなんとか、あのあたりです。
時の天皇は孝徳天皇といい、甥っ子である中大兄皇子は、皇位継承者でした。

しかし、数々の歴史的都市伝説(なにそれ)を内包する、若干かたより気味なその参考書によれば、
中大兄皇子はその時、孝徳天皇の后と、不倫の仲にあったというのです。
おまえは、源氏物語の光る君かっっっ!!!

いやいや、これで驚いてはいけません。
孝徳天皇とは、中大兄皇子にとって、叔父であると同時に「義弟」でもありました。
よーするに、不倫相手である孝徳天皇妃は、父親も母親も同じ実の妹だったのです。
『ぼくは妹に恋をする』かっっっ!!!

そんな中大兄皇子とはつまり、後の天智天皇ですね。万葉集でお馴染みの。
そう、弟である大海人皇子と一人の美女を奪い合ったという、有名なエピソードを持つあの方です。

不倫で大逆で近親相姦で兄弟間三角関係。
どこまでも昼ドラの匂いがする中大兄皇子は、しかし、物語のキャラクターとしては、
背徳的ながらもハイソサエティな、エロス美男子として描かれるべきなのではないでしょうか。
伊勢谷友介とかがいいかなー。


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マニアック上等!! 第1回・カッコイイ仏像大会!! [教科書に出てくるイケメン]

エントリーNo.1 懐の深さはナンバーワン!! 高徳院 阿弥陀如来坐像


与謝野晶子が「美男におはす」と詠んだ、いわゆる鎌倉大仏。「たとえ悪人でも不信心者でも、すべての生きとし生ける者は自分トコの浄土に迎える」というマニフェストを掲げておられます。信じるものしか救わないなんてセコいことを言わない、抜群の包容力を誇るオトナなお方です。

エントリーNo.2 ポテンシャルは業界随一!! 広隆寺 弥勒菩薩半跏思惟像


日本国宝第一号に認定されたメジャー級。仏としてはまだユースの段階ですが、次期「如来」との呼び声が高く、「すべての生きとし生ける者を救うには、どうすればいいのか?」について真摯に考え続けておられます。メガネこそかけていませんが、中性的で思慮深げなビジュアルは、一部の女性から「萌え」との評価を受けてもおかしくないのではないでしょうか。

エントリーNo.3 哀しきアンチヒーロー!! 興福寺 阿修羅像


華奢な腕に細い腰、端整な顔はわずかに眉をひそめています。阿修羅とは元々インドの魔神で、わけあって帝釈天との勝ち目のない闘いを強いられ、負け続ける運命に。後に仏を守護する闘神となりましたが、闘いを宿命づけられた美男子の悲哀の面差しは、判官びいき傾向の強い日本人に、根強い支持を受けています。

いかがでしたでしょうか。今回は日本の仏像に焦点をあててお送りしました。次回、中国・シルクロード編でお会いいたしましょう。

※仏様の性別について※

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孫呉随一のモテ男子。 [教科書に出てくるイケメン]

周瑜字公瑾 廬江舒人也(略)  周瑜・あざな公瑾は、廬江・舒という所の人である。
瑜長壮 有姿貌         瑜は成長すると立派な体格になり、みめかたちも備わっていた。
                               (『三国志』呉書 周瑜伝)

…とゆーように、歴史書に「イケメンであった」とはっきり記述されている、呉の勇将・周瑜(しゅうゆ)。
サブキャラではありますが、高い人気を誇ります。ハッキリ言って、女性ウケします。
女性はあんまり『三国志』に手は出しませんが、イザ読んでみれば、周瑜のファンになる可能性が高いと思います。以下、理由。

1:イケメン御曹司
周家は、軍事長官を二人も輩出した名門で、瑜のパパも県知事。
瑜本人はといえば、呉国の殿様・孫策に武人として信頼され、24歳で「健威中郎将」という位をもらっています。
町ではみんなに「周郎(周家の若さま)」と呼ばれ親しまれたと、周瑜伝にはあります。若い娘さんたちからは「美周郎」とまで呼ばれ騒がれた、という伝説もあるくらい。


2:男の友情
呉国の殿様・孫策は、瑜の主君であると同時に、実は同い年の幼馴染。美人姉妹をそれぞれ娶ったので、リアルに義兄弟でもあります。
主従を越えて信頼しあう若者たちの絆は、歴史物語には絶好の題材。小説や漫画にも、鮮やかに描かれています。
実はこの殿様、覇業の道半ばにして、26歳の若さで暗殺されてしまうのです。無二の親友であり主君でもあった孫策の遺志を継ぎ、新しい殿様(策の弟)のもとで、ひたむきに働く瑜の姿は、他の家臣たちをたいそう感心させたといいます。
そして彼もまた、その後36歳で病没する運命にあるのです。


3:男も惚れる。
程普という、先輩がいました。彼は年下の瑜にいつもイジワルを言っていたのですが、瑜は決して言い返さずジッと我慢してた。それを見て程普は、却って瑜のことを好きになって、信頼するようになったそうな。
『江表伝』によると程普は、「周瑜は、芳醇な酒のような男だ。付き合っているうちに、いつの間にか酔ってしまう」と言ったそうです。っつーか、我々女子も酔ってみたいもんです。


4:
クールな知性派
沈着冷静で感情をおもてに出さず、いつもクールな微笑みを浮かべている…という周瑜像が定着しているのは、会議のとき主君に対して述べる意見が、いつも的確で、みんなから信頼されるものであったからかも知れません。
しかも、慎重だからといって逃げ腰というわけではないのです。
魏国の魔王・曹操が攻めてくるっ!!…という局面で、「これこれこーゆうわけで、攻めてくる曹操が不利です。降伏なんてすることはない。我々が、勝てます!」と、理路整然と述べた瑜。
この後、『三国志』のハイライト・赤壁の戦いへと臨み、優れた洞察力と卓越した作戦力で、曹操を敗北せしむるのです。その頭脳は、名軍師と名高い諸葛亮ともタメはるものであったとか。

5:音楽に強い
瑜少精意於音楽          瑜は若い頃から音楽について詳しく、
雖三爵之後 其有闕誤      3杯飲んだ後でも、演奏者が音を飛ばしたり間違えると、
瑜必知之 知之必顧        瑜は必ずこれに気づき、気づけば必ず振り返った。
故時人謡曰             そんなわけで、当時の人がはやして言うには
曲有誤 周郎顧           「曲を間違えると、周郎が振り返るぞ!」

小説などでは、自ら琴を弾いて聞かせる場面などもよく描かれます。
背が高くてイケメンで家柄がよくて友情に厚くて忠義心に溢れて武術に秀でて頭が良くて仕事が出来て男にも女にも好かれて楽器も弾けて…それなのに、若くして死んでしまう悲劇の青年。
これを見れば、世の女性が『三国志』を知らずに過ごすことが、いかにMOTTAINAIことかお分かり頂けるかと思います。


<参考文献>
『正史 三国志英傑伝』 『中国の思想』刊行委員会 徳間書店
『三国志演義』 中国古典文学大系 平凡社
『蒼天航路』 李學仁/王欣太 モーニングKC

『三国志』 北方謙三 ハルキ文庫
『赤壁の宴』 藤水名子 講談社文庫
  (↑女性にオススメ!!女子高生のテンションで、キャーキャー言いながら読んで下さい!)


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